2013年9月8日日曜日

¡AQUÍ ESTÁN, LOS BEATLES!

― 1965年7月2日(金)午後10時、マドリードのラス・ベンタス闘牛場で行われたコンサートにて、
司会者トレブルーノによるビートルズ紹介の言葉

1965年の夏、ヨーロッパ・ミニツアーの一環として、フランス、イタリアそしてまたフランスと廻ってきたビートルズは、7月1日に最後の目的地であるスペインの地に足を踏み入れた。ここでは彼らが南欧の暑い日差しのもと、この国で慌ただしく過ごした4日間の足取りをたどる。


ビートルズの4人がスペインを訪問したのは1965年7月が初めてではなく、それ以前に、それぞれプライベートで来たことがあった。そのうちジョンはエプスタインと、いくぶんホモちっくな休暇旅行を楽しんだ経験があり、残りの3人もクラウス・フォアマン家の別荘を訪ねて、アフリカ沖の大西洋に浮かぶスペイン領カナリア諸島で過ごしていたが、グループとして演奏のために訪れたのはこれが最初で最後の機会だった。

しかしジョンだけは、映画「How I Won The War」撮影のためほどなくスペインに戻り、そのさなかアルメリア Almería の地で、名曲「Strawberry Fields Forever」を作曲することになる。


日程

1965.7.1 (木)

マドリード到着

17時40分
ニースよりエール・フランス機にてマドリード・バラハス Barajas 空港に到着
治安当局が過剰なまでの警備体制を敷いたため、出迎えたファンは、ようやくのことで空港に近づけた200人ほどを数えるのみだった。

ホテル・トリップ・フェニックスにチェックイン
20時30分
記者会見 (約30分間)

1965.7.2 (金)

午前中
シェリー酒の試飲
ホテル・フェニックス内のサロンでシェリー酒の試飲会を行い、メンバーそれぞれがシェリー酒の樽にサインをする。
このサイン入りの酒樽は、他の有名人のものと一緒に、現在でもヘレス・デ・ラ・フロンテーラのウィリアムズ&フンベルト社で保管されている。

この試飲会中に撮られた、シェリーの樽の前でフラメンコダンサー (ウルタード姉妹) と写っている写真がよく知られているためか、シェリーの産地として有名なヘレス・デ・ラ・フロンテーラをビートルズが訪れたと誤って伝えられることがあるが、実際にはこれは彼らが宿泊していたマドリードのホテル内で行われたものである。参考資料によると、マーク・ルイソンの「Complete Chronicle」にさえ、この誤りが引き継がれているようだが、邦訳「ザ・ビートルズ/全記録」では幸いそのような記述は見当たらない。
ただし、邦訳には重大な誤りがある。別冊付録「索引・完全データ集」の447ページに、「グループはヘレス・デ・ラ・フロンテーラでライブは行っていないが、訪れてはいる」といった趣旨のことが書かれているが、間違いである。ビートルズはヘレスを訪れてはいない。醸造所を訪れる時間がなかったため、マドリードのホテルでの試飲会となったのである。
ついでに言うと、上述の邦訳書でこの街を「イェレズ・デ・ラ・フロンテーラ」としているが、これも残念な誤りである。「Jerez」を適当にスペイン語っぽく読んだのだろうが、無名の街ならともかく、シェリーの産地として世界的に有名な街なのだから、もう少し調べようがあったと思うのだが。

午後
フォノラマ誌 (スペインの音楽雑誌) のインタビュー

ラス・ベンタス闘牛場でのライブ

スペインでの公演は2回とも、いかにもスペインらしく闘牛場で行われた (とはいえ東京でも、本来は武道競技場である武道館をコンサートに使っているわけだから、似たようなものと言えるが)。現在でも、普通のホールでは小さすぎるがサッカー場では大きすぎるようなコンサートの場合、マドリードではラス・ベンタスが使われるが、元が闘牛場だけにアリーナの床は土で、ライブが盛り上がるにつれそれが舞いあがり、ひどい土ぼこりまみれになってしまうのが難点。

20時30分
開演

2部に分かれており、前半は前座の演奏だった。

  • Juan Cano y su orquesta
  • The Rustiks (エプスタイン傘下のバンド)
  • Martin's Brothers
  • Trinidad Steel Band (トリニダードからやってきたスティール・ドラム・バンド――あのヴァン・ダイク・パークスがプロデュースしたアルバムがその筋では有名な Esso Trinidad Steel Band のことか?)
  • Michel (スペインのバラード歌手)
  • Los Pekenikes (地元マドリードのバンド)
  • Freddie Davis (アメリカの歌手)
  • Beat Chics (女性バンド)
  • The Modern 4 (アメリカのグループ?)

主役の登場を待ちかねた観客は、ほとんどの前座に対して野次やブーイングを浴びせかけた。それでも、Beat Chics、Trinidad Steel Band や地元バンドの Los Pekenikes などは比較的好意をもって迎えられたが、Martin's Brothers や Michel にはことさら非友好的な態度を示し、特にこのラインナップの中でも浮いていた後者は、観客に促されて退場するはめになった。

22時
司会のトレブルーノが登場し、第2部の開演を告げる
Y ahora sí que ha llegado de verdad el momento. Sí, queridas amigas y amigos, aquí están, por primera vez en España, los fantásticos, los únicos, ¡los Beatles! (さて、いよいよお待ちかねのこのときがやってきました。さあみなさん、スペインで初めての登場となる、すばらしい、唯一無比の、ザ・ビートルズです!)

ジョンはコルドバ帽 (てっぺんと縁が平らなスペイン特有の帽子。著書「A Spaniard In The Works」の表紙などでも着用しているのを見ることができる) をかぶって登場

演奏曲は次のとおり。

  1. Twist And Shout (ショートバージョン)
  2. She's A Woman
  3. I'm A Looser
  4. Can't Buy Me Love
  5. Baby's In Black
    ― ここで「リンゴ! リンゴ!」という歓声が沸きあがるが、偶然にも次の曲は…
  6. I Wanna Be Your Man
  7. A Hard Day's Night
  8. Everybody's Trying To Be My Baby
  9. Rock And Roll Music
    ― リンゴのドラムに張られた演奏曲リストによれば「Rock And Roll Sausages」(ある人から「あんたらのやっているのは音楽じゃない、ソーセージだ」と〔少しシュールな?〕非難をうけたことから、ときおり仲間うちでふざけて「ミュージック」のことを「ソーセージ」と言っていた)
  10. I Feel Fine
  11. Ticket To Ride
  12. Long Tall Sally

いつもどおりアンコールにはこたえず、演奏時間は全部で40分ほど。
入場者数は約1万2千人。これは会場の収容人数の約半分であり、少ないように思われるが、これには以下のような理由が考えられる。
まず、当局の嫌がらせにより、コンサート開催の正式な許可が下りたのがわずか7日前で、事前の告知が不十分だったこと、また、秩序を維持するという名目で山のように会場周辺に配置されていた警官隊が、怪しげな者を――例えば長髪だというだけで――かたっぱしから拘束しており、会場に近づけなかった者も少なくなかったことなど、いずれも当時のスペインの社会情勢に由来するものである。

深夜
お忍びでフラメンコ見物

1965.7.3 (土)

バルセロナへ向かう

14時45分発イベリア航空214便 (通常の定期便) でバルセロナに移動
ムンターダス Muntadas 空港に到着
ホテル・アベニーダ・パラスに向かう

記者会見

インタビュー

モヌメンタル闘牛場(注)でのライブ

(注: 「全記録」245ページや別冊索引集448ページでいうような「モニュメンタル」ではない)

22時45分
開演

マドリードのライブとは前座のメンバーが一部異なる。

  • Orquesta Florida
  • Los Shakers (スペインのグループ――ウルグアイ出身とする資料も)
  • Michel
  • Trinidad Steel Band
  • Freddie Davis
  • Los Sirex (地元バルセロナのバンド)
  • Beat Chics

全般的に、マドリードよりも観客の反応は温かく、特に地元出身の Los Sirex に対しては熱狂的な声援が送られた。

24時頃
司会のトレブルーノが開演を告げる
演奏曲はマドリードと同じ。

1965.7.4 (日)

帰国

12時
イベリア航空424便でロンドン・ヒースロー空港に到着

残されたライブ記録

音楽雑誌「フォノラマ」によって録音されたマドリード・ライブの音源と、NO-DO (ニュース・ドキュメンタリー映画社) が撮影したマドリード、バルセロナのライブ映像がある。

ライブ音源

65年夏のヨーロッパ・ミニツアーでは、現在までにパリとローマの計4公演の音源が知られているが、第5の音源としてマドリードでのライブのもようをとらえた録音が存在するらしい。

参考文献によると、音楽雑誌「フォノラマ」は、ブライアン・エプスタインとスペイン公演のプロモーターの許可のもと、4本のマイクと1つのミキサーを使い、2トラックのテープレコーダーでマドリード公演の全曲を録音していた。
しかしながら、この参考文献の刊行時までのところ、この音源は1994年の夏にスペイン国営ラジオの番組で一部が流されたのみで、その後も「The 910's Guide」に記載がないことからすると、残念ながらその全体像は現在に至るまで未公開のままのようである。

ライブ映像

参考文献によれば、NO-DO (ニュース・ドキュメンタリー映画社) はビートルズのスペイン公演に関して、マドリード、バルセロナのライブ映像を含む約30分のフィルムを残している。

スペインに残した足跡リスト

マドリード Madrid

  • ホテル・トリップ・フェニックス Hotel Tryp Fénix
    C/Hermosilla, 2
  • プラサ・デ・トロス・デ・ラス・ベンタス Plaza de Toros de Las Ventas (ラス・ベンタス闘牛場)
    C/Alcalá, 237

バルセロナ Barcelona

ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ Jerez de la Frontera (Cádiz)

  • ウィリアムズ&フンベルト Williams & Humbert Ltd. (シェリー酒醸造工場)
    C/Nuño de Cañas, 1
    4人のサイン入りの酒樽がここのサロン・ドン・ギド Salón Don Guido で保管・展示されていたが (参考文献の刊行時点)、メンバーが実際にここを訪れたわけではない。(7月2日の項参照)

(おまけ) アルメリア Almería

  • サンタ・イサベル Santa Isabel (カサ・ロメロ Casa Romero)
    冒頭でも述べたように、「How I Won The War」撮影のためスペインを訪れていたジョンが滞在していたアルメリア郊外の邸宅。地元ではカサ・ロメロ (ロメロ邸) の名で、あるいはその外観からカサ・チノ Casa Chino (中国の家) として知られる。「Strawberry Fields Forever」のいわゆるサンタ・イサベル・デモはここに滞在中に録音された。
    参考: Let Me Take You Down To Almeria (Spain) (英語) / Let Me Take You Down To Almería (España) (スペイン語)

参考文献:
E. Sánchez y J. de Castro: Olé, Beatles!, Pagès Editors, 1994 (ISBN 84-7935-220-5)
マーク・ルイソン: 「ザ・ビートルズ/全記録」, 全2巻, プロデュース・センター出版局, 1994 (ISBN 4-938456-23-0/24-9)
Doug Sulpy: The 910's Guide to the Beatles' Outtakes Part 1, 4th edition, The 910, 2001 (ISBN 0-9643869-1-7)